▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼  タイトル:始まりの終わり 終わりの始まり    作者:赤砂 多菜   キャラ:水瀬 名雪(Kanon)   ※改行無しの為、読む時は    ウィンドウサイズで調整するなりして下さい   注1)ストーリーの展開上、一人称と三人称が混ざっています。      読みづらいのは勘弁して下さい。(^^;   ※2)ちょっとキツイシーンがあるかも。      完全なハッピーエンドが好きな人には向かないかも。      特にアンハッピー及びダークものを作品として認めない連中は      読まない方がいいです。つ〜か、読むなっ! ▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼  流れていく。  人が流れていく。  黒い服を着た人が……。  人の流れの中、静かに眠っている大切な女の子。  どうしてやる事も出来なかった。 「泣かないのか?」  俺の隣。冷めた目で見つめる香里に訪ねる。 「そんなもの、ないわよ」 「冷たい奴だな」 「……そうね。でも、それでも無理なのよ。涙はもう一滴も残ってないから」 「じゃぁ、水分補給してでも泣いてくれ、頼むから」 「どうして?」 「……男が女より先に泣く訳にいかないだろ?」 「じゃ、手遅れね」  ハンカチを取り出して、俺の頬に当てる。 「もう泣いてるじゃない」  静かに眠る少女。  もう、俺に微笑んでくれない。 「起きないから、奇跡って言うんですよ」  どんな想いでそう言ったのか。  たぶん、誰よりも奇跡を願ったのは彼女。  でも、彼女の言葉通り、奇跡は起きなかった。  残酷な現実。 「あの子の最後の言葉を聞いてあげてね」 「最後の……言葉?」  俺は葬列から目を離した。 「あの子が、最後の最後に残した言葉。あなたに対しての言葉よ。だから……」 「……聞かせてくれ」  虚ろな瞳で俺を見つめながら、香里は静かに語った。  それは…… 『忘れて下さい、全部。そして――』 「ああああああぁぁぁぁ!!!」  泣きながら叫んだ。  人目なんて気にならなかった。  まるで、自分の周りだけが世界から切り離されたように感じた。 『そして、幸せになって下さい。わたしの分まで』 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=   悪夢が終わる。   そして、現実という悪夢が始まる。 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=  目が覚めた。  何の事はない。ただの夢だ。  ベッドから体を起こして時計を見ると、目覚ましをセットした時間より30分程早い。  だけど、目が冴えてとてももう一度布団に潜る気にはなれない。  シャッ!  カーテンを開けて窓を開く。  差し込む朝日がまぶしい。  まるで、さっきまでの悪夢を溶かしていくように。  ……でも、あれは現実。  栞はもうどこにもいない。  そう、もう現実にも、夢の中にすら栞はいない。 「あら、祐一さん。おはようございます」  リビングにおりるといつも通りに秋子さんが朝のあいさつをくれる。 「おはようございます」  それほど手先はせわしなく動いているようには見えないのだが、あっという間に朝食が出来上がる。  慣れがそうさせるのか、それともそれが秋子さんの凄さなのか。  ふと、秋子さんが俺の顔を見た。が、それだけだった。  もう、何も言わなくなった。  顔色が悪いですねとか、休んだ方がいいんじゃないですかとか。  たぶん、何を言っても無駄だと思ったんだろう。  そして、その通りだった。  秋子さんに心配をかけて申し訳ないと思うが、休んだ所で同じだから。  いや、むしろ一人でいる時間が増えて辛いだけなのかも知れない。 「おはよ〜ございます〜ぅ」  ……最後のぅの部分ですでに眠りの世界に戻ろうとしていた。  ふらふらと揺れながらテーブルに着く。  それでも、最近は一人で起きるようになったのだから進歩したと言えるんじゃないだろうか?  そういえば、いつから名雪は一人で起きるようになったのだろうか?  ………  そこまで考えて、俺は思考をうち切った。  ばからしい。俺が起こしに行かなくなった日からじゃないか。  あの時の事は思い出したくなかった。 「あら、まだ半分も食べてませんよ?」 「すいません。あまり、食欲なくて」  本当だった。  吐きそうだった。あの時の事を思い出しただけで。 「行って来ます」 「えぇ。祐一、また一人で行くの? 一緒に行こうよ」  後ろから慌てたような名雪の声が聞こえたが、俺は聞こえないフリをして玄関を出た。 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-= 「まって、まってよ〜」  玄関を出て約十分後。  後ろから走って来た名雪が俺に追いついて来た。  余程慌てて来たのか、服も髪もめちゃくちゃに乱れていた。  取り合わずに歩き続ける俺の歩調にあわせてくる。 「祐一、最近いつも先に出ちゃうから」 「ゆっくり食べててよかったんだぞ」 「……祐一冷たい」  ちろっと俺を恨めしそうな顔で見る名雪。  だが、俺は取り合わなかった。  無視したと言う意識はなかった。  ただ、ひたすらにおっくうだっただけだ。  何をするにしても無気力感がつきまとう。他愛のない会話ですら今の俺にとっては煩わしかった。  そんな俺の態度は今日に限った事じゃない。  あの日からずっとそうだ。  なのに、名雪はずっと俺につきまとう。  いい加減にあきらめてもよさそうなものなのに……。  正直、名雪が何を考えているか理解出来なかった。  いや、理解しようとすらしていなかった。 「―――てくれないんだね」  ?  名雪が何か言った気がした。  よく聞き取れなかった。  聞き返そうとして……、やめた。  やはり、おっくうだった。 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-= 「この公式を良く覚えておくように。応用問題だろうがなんだろうがこの公式さえ暗記してれば大丈夫だから」  教師の声が頭の上を通り過ぎていく。  俺は授業を聞いているふりすらせずに窓の外を眺めていた。  窓側の席。  栞と同じ場所。  何の因果か絶対にさけたかった席が俺の席だった。  窓の外を見ると中庭が見える。  今は雪が積もっていないけど、かつてそこは真っ白だった。  そして……、そして……… 「おい、相沢っ!」  ?!  突然、名指しされて気付けばクラス中が俺を見ていた。 「今、わたしが言った事をもう一度いってみろ」  ……言えるわけがない。教科書すら開いていないんだから。 「聞いていませんでした」  そう言うしかなかった。 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-= 「どうしたんだよ。相沢」  次の休み時間、さっきの授業の事で北川が声をかけてきた。  呆れ半分、心配半分の口調で、 「よりによってあいつの授業でよそ見なんて正気の沙汰じゃないぜ」 「……ああ、そうだったな」  なにかあると、内申や進学の事を口にする事で、恐らく全生徒に煙たがられている教師だ。  さっきの事も間違いなく奴のチェックリストにつけられているだろう。 「……なあ」 「ん?」 「どうしたんだよ、最近。様子が変だぜ?」  ………  北川は栞の事は知らない。  香里に妹がいる事すら。 「あぁ、ちょっと疲れているだけだよ」 「……まぁ、そう言うなら」  ウソだと言う事は明白だったが、北川はそういう事にしてくれた。  ……良い奴だ。 「なんか、相談があるなら言えよ。そりゃ力になれるかどうか分からないけどな」 「ああ、気持ちだけもらっとくよ」 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=  ギイィィィ  重い響きをたてて扉が閉まった。 「よぉ、また昼食べてないのか?」 「そんな事、相沢君も一緒でしょ?」  香里が振り向きもせずにそう言った。  ずっと、中庭を眺めたまま……  【約束】  ここで一緒に弁当を食べるという他愛のないもの。  それすらも果たされなかった。  俺は香里の少し後ろから同じように中庭を眺めていた。  お互い喋る事なく、ただ寂しい空気を共有していた。  そして、どれくらいたったろうか。 「なぁ……」 「……なに?」  俺の呼びかけに一拍おいて返す。 「いつまで、こうしているんだろうな。俺達」 「………」  ようやく、香里が振り向いた。  乾いた瞳で俺を見つめて、 「さぁ?」  哀しい想い出にしがみついたまま、現実に目をそらして…… 「時間が解決してくれるとか言うけど……。あの子の事を忘れるまでかしら。でも、あたしは二度とあの子を忘れないわよ」 「忘れなきゃ、ならないのか?」 「あたしに聞かないでっ!」  半ばぶつかるように俺の前を横切る。 「……あたしが教えてほしい。どうすれば、こんな想いから解放されるか」  キィィィィ  扉をくぐりながら香里が振り返った。 「そろそろ、チャイムが鳴るわよ」 「ああ」  扉の向こうに消えた香里を追うように俺も校舎の中へと入っていった。  この時、俺は気付かなかった。  校舎の中から俺達をずっと見つめている名雪がいた事に。 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-= 「ぶちょ〜、お疲れさまぁ」 「お疲れ、明日も遅刻しちゃダメだよ」 「大丈夫です。部長以外はみんな時間にキチンとしてますから」 「……なんか、それってすっごく失礼だよ」 「でも、事実ですから」  正直な後輩は取り合わない。  水瀬名雪。人望があるのかないのか不明だが、一応陸上部を束ねる立場にある少女。 「あたしだって、たまにはちゃんと起きるもん」  そのたまにはいつかと聞かれれば答えられないだろう。  とぼとぼと歩いて、校門前まで来て立ち止まった。 「部長?」  すぐ後ろを歩いていた後輩達を振り返って、 「ごめん。先に帰ってて」 「忘れ物ですか?」 「うん、たぶん……」 「たぶん?」  聞き返そうとしたときは、すでに名雪はかけだしていた。 「部長の事だから、忘れ物をしたかどうかですら忘れたんじゃないかな?」 「そうね」  ……どこまでも後輩に信頼されているようである。 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-= 「もしかしてと思ったんだけどね」  校舎の影から除いて、溜息をついた。  胸がすり切れそうに痛かった。 「ねぇ、祐一。あたしはどうすればいいのかな?」  視線の先、そこには祐一が一人で中庭に立ちつくしている。  服は私服だった。一度家に帰ったのだろうか? 「ずっと、何もなかったようにしてきたけど。それが一番だと思ったから。いつかきっとどうにかなると思ったから」  名雪の声が微かに震えている。 「でも、―――てくれないんだね」  唇を噛んでうつむく。  そのまま、後ろを向いて走っていった。  逃げ出すように…… -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-= 「あら?」  食器を並べ終わってテーブルに着こうとした秋子さんが首をかしげた。  プルルルルルッ  プルルルルルッ  電話が鳴っている。 「はい、水瀬です」  どうも、相手は秋子さんの仕事関係の人らしい。  丁寧な受け答えを(いつもそうだが)していたが、急に表情がくもった。 「え? それは困ります。はい、分かりました。すぐに伺いますので、ちょっと待ってもらえますか? 先方にもそうお伝え下さい」  フゥ  電話をおいて、珍しく疲れた表情をする。 「ごめんなさい。祐一さん。先に食べておいてもらえますか?」 「どうしたの、お母さん」 「うん、どうも仕事で手違いがあったみたいなの。ちょっと、いつ帰れるか分からないから先に寝ておいて。あら、もっとも、名雪はいつもそうだったわね」 「……もしかして、からかってる?」 「あら? 早寝早起きは健康にいいのよ。でも、名雪は早起きはダメみたいだけど」 「やっぱり、からかってる」 「では、祐一さん。後はお願いしますね」 「あ〜、ごまかしたぁ」  ちょっと膨れた名雪をみて、クスッと笑い、身支度を整えに部屋に戻っていった。  急いでいるせいか、すぐにフォーマルなスーツ姿となって、リビングに顔を出す。 「じゃ、いってくるわね」  そして、食卓は静かになった。  俺はあの日から食事中にほとんど喋らなくなった。  いや、別に食事中じゃなくても口数が極端に減っている。  それでもまだ気詰まりと言う空気にならなかったのは秋子さんのさりげないフォローがあったからだ。  でも、今はその秋子さんがいない。  それだけで、空気が重い。 「あ、あのさ、祐一」  この空気に絶えられなくなったのか、名雪が喋りかけてくる。  だが、俺にはそれに応える気はなかった。  ……応えた所で、またすぐに元の状態に戻るのは目に見えていたから。  カタッ  俺は食器を手に台所に向かった。 「祐一……、まだ半分以上残ってるよ」 「あまり、食欲がないんだ」  それは本当だった。でも、それは今日に限った話じゃない。 「ごめん……」  たぶん、自分のせいだと思ったんだろう、名雪がうなだれた。  違う。お前のせいじゃない。  だが、俺は何も言わなかった。  何かをしようとすると、襲ってくる無気力感。  たぶん、俺が失ったのは栞だけじゃない。  食器を流しにおいて、そのままリビングを出た。  自分が最低な奴だとは分かってる。  でも、分かっていても変われない。  香里じゃないが、こんな想いから解放される方法があるのなら、教えて欲しい。 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-= 「すーはー、すーはー」  名雪は大きく深呼吸した。  たかだか、祐一の部屋をノックしようとしているだけだが、夕食の時に感じた気まずさを思うと手が思うように動かなかった。  だが、次の瞬間、何かを踏み越えるように……  コンコン  乾いた音が廊下に響く。 「ゆ、祐一。わたしだよ。はいるよ」  返事は帰ってこない。  また、無視されたのかと思ったが、ふと中から人の気配がしないように感じた。  無意識にドアノブに手が伸びた。  それはすんなりと回った。 「あれ?」  名雪はキョトンと立ちつくした。  部屋に誰もいなかった。  恐らく、名雪が自室で悩んでいる内に外へ出たのであろう。 「どうしよう」  特に用事があった訳ではない。  ただ、今の状況を打破したかっただけだ。  栞の死が祐一の心に深い傷となっているのは分かる。  だが、それでも自分の殻に閉じこもったままの祐一を見ていられなかった。 「どうしよう」  再び名雪が言った。  だいたい、どこへ行ったかは見当がつく。  あの日以来、祐一の行動はパターン化していた。  ただ、迎えに行ってどうする?  また、うっとうしそうな目で邪険に扱われるのだろうか?  名雪は両肩を抱いて震えた。 「でも、戻って欲しい。以前の祐一に」 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=  ぽつ……ぽつ……  肌に時折感じる雫の感触。  もうすでに真っ暗になっていたが、それでも空が曇りきっているのは分かった。  雨になりそうだ。  だが、俺は動く気になれなかった。  いや、動けなかった。  足が凍りついたように動かない。  噴水の音が胸の痛みをえぐる。  最後に栞と会った場所。そう最後の。  ザァァァッー  雨が強くなってきた。  寒いはずなのに寒くない。  濡れた服もあまり気にならなかった。  このまま、ここに居続けたら栞と同じ所にいけるのだろうか?  ?  雨がやんだ?  だが、すぐに俺は違う事に気付いた。  雨はまだ降っている。 「帰ろうよ、祐一」  名雪だ。  後ろにいるから、姿は見えないがたぶん傘をさしているに違いない。 「風邪……ひくよ」  言われて初めて気付いたように俺は身震いした。  寒い…… 「あ、待ってよ祐一」  俺は名雪の顔も見ずに歩き出した。  後ろから慌ててついてくる気配を感じたが、かまいはしなかった。 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=  水瀬家に帰った俺はすぐに風呂にはいって着替えた。  まだ、少し寒気がする所からすると本当に風邪をひいてしまったかも知れない。  そして、部屋でいつもの通り、無為な時間を過ごしていると、  コンコンッ  名雪だ。  声はなくても、今この家にいるのは名雪しかいないのですぐ分かる。  俺は返事をしなかった。  いつもの事だ。誰とも話したくない。  たぶん、俺はもう誰ともかかわりたくないんだろう。  ずっと、栞との想い出だけを抱いてこれからも生きていくんだ。  ………  いつもならすぐに諦めるのに、どうして今日に限って……  俺は溜息をついた。 「はいれよ、名雪」  ずっと、ノックの後も部屋の外に気配があった。  カチャ  案の定、名雪が入って来た。  お気に入りの猫柄のパジャマを着ていた。 「もう、お前は寝る時間だろ?」 「……言っときたい事があったから」  伏せ気味の視線を俺に向けた。 「……どうしたんだ? 言えよ」  なかなか言い出さない名雪に俺は焦れて催促した。  なんだんだ、いったい…… 「ねぇ、どうしたら―――てくれるのかな?」 「え?」  よく、聞こえなかった。  もう一度、名雪が言った。 「いつになったら……、わたしを見てくれるのかな?」 「な…ゆき?」 「こんな関係になる為に再会したんじゃないと思いたいよ」 「………」  俺はぎゅっと拳を握った。  栞とだって、出会った時はあんな結末になるなんて思っちゃいなかったさ。 「出ていけよ」 「祐一……」 「出ていってくれ。悪いけど」 「嫌だよ」  俺は戸惑った。名雪の拒否が意外だった。  それ以上に意外だったのが、名雪の表情。  初めて見る厳しい顔つき。 「今、出ていったら今までの繰り返し。でも、このままじゃいい加減に祐一がダメになっちゃうよ」 「……いけないのかよ。ダメになるのがっ」 「祐一っ!」  バッ  反射的に俺の腕をつかんだ名雪を振り払った。 「祐一!!」  名雪の悲しそうな声。  でも、俺の心には届かない。  いや、むしろ乾いた俺の心をいらだたせていた。 「俺の事はほっとけよ。……もう、どうでもいいから」 「良くないっ。そりゃ、栞ちゃんの事はかわいそうだけど、だからと言っていつまでも落ち込んでても仕方ないじゃないっ!」  ……なんだって? 「いい加減にしようよっ、祐一も香里もっ。栞ちゃんはもういないんだよっ!」  ………そうだよ、いないんだよっ 「ちゃんと現実を見てよっ、いなくなった人間の事でいつまでも……、え? ゆ、ゆうい…ち?」  どこかで、何かが壊れた。  視界が真っ白で、俺を支配する透明な無力感が、別の何かに塗り替えられていく。  真っ赤な憤り。  それは抑えきれない程の。  じりっ  名雪が一歩下がった。  それに引っ張られるように、俺も一歩踏み出す。  また、名雪が一歩下がり俺は一歩踏み出す。  じりっ、じりっ  一歩、また一歩 「あっ」  俺に気を取られすぎたか、名雪がベッドの縁に足を取られた。  バランスをとれずにベッドに倒れこみ、さらに慌てて立ち上がろうとして失敗に床に転げ落ちる。 「いたっ」  手首を変な風にねじったのか右手を押さえている。  一端、俺から注意の離れた名雪だが、すぐに視線を俺に戻す。そして、怪訝な顔をした。 「ゆういち?」  そして、俺の視線をおって慌てて体勢を整えようとする。  落ちたひょうしにパジャマのズボンがずれて下着が見えていた。上着もめくれて白い肌が見えた。  名雪が尻餅をついたまま、俺から離れようとする。  その顔が青かった。 「ゆ、ゆういち……、なんか、変だよ?」  喉がからから乾いていた。  さっきまでの憤りがまた別の感情にすり替わっていった。  名雪から……、いや、名雪の肌から目が離せない。  どこかで何かが間違っている気がしたが、俺には理解出来なかった。  脳が溶けるような感覚に身を任せて、俺は名雪に震える手を伸ばす。 「じょ、冗談……だよね。ね、祐一」  たぶん、それが覚えている最後の名雪の言葉だった。 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=  パサッ……  布が擦れる音。 「………」  パタンッ  名雪が無言で出ていった。  俺の顔を最後まで見ようとしないで。  ……… 「クックック……」  笑いがもれた。  俺は……何をした? 「ハッハッハッハッ」  両手で顔を押さえてうずくまった。  手の隙間から涙がこぼれて床を濡らしていた。  ……俺は何をした?  いったい、名雪に何をしたんだ?  あいつはずっと声を漏らさなかった。一言も。  辛く、苦しかったろうに我慢して。  我に返った時にはすでに全てが終わっていた。  俺に出来た事は虚ろな視線で天井を見つめる名雪に、俺自身が剥いだ上着を掛けてやる事だけだった。  なぁ、何がやりたかったんだ?  俺は自分に問いかけた。  あいつは心配してくれてたんだぜ?  そうだ。栞はもういない。  栞だって、こんな俺の姿を望んじゃいないはずだ。  そうだ。名雪が言った事は正しかったんじゃないのか?  俺は栞を失って傷ついていたんだ。 「それが……、それがどうしたっ!」  名雪を傷つける理由になんてならないだろうっ、この馬鹿野郎がっ!! 「ちくしょうっ、ちくしょう………ううっ……」  後は嗚咽しか出てこなかった。 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=  そして、どれだけ時間がたったろうか。  カチャ  俺はドアを開けて廊下に出た。  そして、階段を下りてリビングへ。  明かりはつけなかった。  光の下にいるのが怖かったから。  半ば手探りの状態で目的のものを捜す。  すぐに見つかった。  電話だ。  俺は受話器を押してダイヤルのナンバーに手を伸ばす。  はじめは見えなかったが、闇に目がなれてくると、微かに判別出来るようになった。  ピッ  ナンバーを押すと電子音が鳴った。  続けて押そうとすると、ふいにパッと閃光が襲った。 「うわっ」  俺はまぶしさのあまり思わず目を覆った。  な、なんだっ?!  だが、それはリビングの蛍光灯のスイッチが入っただけだった。 「……秋子さん」  俺の呟きに応えずに目の前まで来て、落とした受話器を電話に戻す。 「こんな時間にかけたら姉さん達に、迷惑ですよ」  ……え?  俺は狼狽する間もなく、次の瞬間乾いた音がリビングに響いた。  パンッ  俺は何が起きたか、しばらく理解出来なかった。  秋子さんが俺はひっぱたいたのだ。 「とりあえず、あの子の親として」 「秋子……さん?」  厳しい顔つき。  ……知って? 「帰って来たらあの子が祐一さんの部屋から出てくる所でした」 「………」 「すぐ、目の前にいるはずのわたしに気付かないで自分の部屋に入って行きました。服もあんな破れ方していましたし、何があったか一目瞭然でした」  パンッ  再び秋子さんの平手が俺の頬を打つ。 「わたしはね、祐一さん。あなたを信頼していたんですよ」 「……はい」  そうだ。そして、俺はその信頼を裏切った。  ふいに秋子さんが表情を緩めた。 「あなたは、姉さん達に電話をして何を言うつもりだったの?」 「……ありのままを」  もう、ここにはいられない。  海外の親に会わせる顔もないけど、それでもここに居続ける訳にはいかないから。 「少しはあの子の気持ちを考えてもらえますか?」  ……え?  名雪の……気持ち?  秋子さんは深い溜息をついた。 「……後は二人で話し合いなさい。あなたがどんな答えをだしても反対しないから、ね? 名雪」 「!?」  リビングの扉の影から……名雪がのぞき込んでいた。 「お母…さん」  秋子さんが名雪のぽんと肩に手をおいてすれ違う。 「言える時に言っておきなさい。昔みたいに後悔しないように」  トントントン……  階段を上がっていく足音。たぶん、自分の部屋に戻ったんだろう。  俺は名雪の顔を見直した。  少しはれた頬。  たぶん、あの時にどこかにぶつけたんだろう。  名雪も俺の顔を、目を見つめた。  そして…… -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=  今日も香里は中庭にいた。  果たされぬ【約束】に胸を痛めて。  ずっと、そこを見つめて……  キィィィイ  扉の開く音。  同じ痛みを持つ者。  いままでは。  いつもなら近くに来るはずの祐一は、扉付近から動く気配がない。  それでも、香里は振り向かない。 「もう……ここにはこない」 「そうね。あなたにはもう必要ないよね」  名雪と祐一の間を流れる空気から、薄々感じ取っていた。 「香里はいつまで、ここにいるんだ?」 「さぁ……、あの子を忘れていた分はいるんじゃないかな?」 「じゃ、俺はいくぞ。名雪を待たせてるし」  そう言って背を向ける祐一。  目を閉じて微笑みながら振り向かずに言う。 「泣かせちゃダメよ、あたしの大事な親友なんだから」 「分かってるよ」  再び扉を開き、そして閉める音。 「一人ね……」 -=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-= 「祐一……」  心配そうな表情で振り返ろうとする名雪の頭にぽんと手を置く。 「大丈夫だよ。あいつもいつかは……俺みたいにちゃんと戻ってくるから」  俺は名雪の顔を見つめた。 『気にしなくていいよ……』 『嬉しかったから。どんな形でもやっとわたしを見てくれたから』 『祐一が好きだよ。7年前からずっと……』  あの時の名雪は泣きながら微笑んでいた。  俺は名雪が好きなのか、好きになったのか……、それは分からない。  たぶん、俺は名雪にすがっているだけなんだろう。  それでも、いいと名雪は言ってくれた。  待ってくれると言ってくれた。 「祐一?」  名雪が怪訝な顔をする。 「なんでもない」  俺は名雪を促して、一度だけ後ろを振り返った。  香里にもいつかはすがりつける相手が現れる事を祈った。  そして、俺は二度と振り返らなかった。