題:夢と現(うつつ) 作:赤砂 多菜 ――――――――――――――――――――――――――――――――     とてもとても幸せな時間。     誰かが言っていたような気がする。     ごく普通のどこにでもいる家族だって……     そう。     その通りよ。     だからこそ、幸せだった。     幸せ……だった?     そう、あの時まで…… ――――――――――――――――――――――――――――――――  まず目に入ったのは天井だった。  しばらく、静枝は自分が目覚めている事に気付かなかった。  そしていつもそうしているようにゆっくりと部屋を見渡す。  必要最小限のものしかない、小ぎれいな部屋。  夫が時々、少し位は飾るものは自分が欲しいと思ったものを買えと苦 笑混じりに言うが、これまで静枝はそれを実行した事はない。  別に部屋を飾るのが嫌いと言う訳ではないが、かと言って好きでもな いし、自分が欲しいものを買って満足するより、夫や娘が欲しがってい るものを買って、喜んで貰える方が嬉しい。  タンスより下着と服を取り出して、寝間着に手をかける。  ブラジャーを付けようとして、ふと開いたままだった三面鏡に映る自 分に気付いた。 「まだまだ、若いわね」  言って自分で照れてしまい、いそいそと気恥ずかしげに着替える。  夫が聞いていたら、笑われるだろう。  着替え終わって廊下に出る。  聞こえるのは微かに聞こえる自分の足音だけ。  夫も二階の娘もまだ夢の中。  ダイニングに入って、ドアを静かに閉める。  これでよし。  多少、大きな音を立てても密閉されている為に音が洩れづらい。 「さて、始めるか」  ダイニングテーブルを囲うイスの一つに掛けっぱなしだったエプロン をかけて、キッチンに立つ。  さぁ何を作ろう?  毎朝そうしているよう、ちょっとだけ悩んだ後、キッチンに香ばしい 匂いが漂い始める。  手際よく料理箸を動かし包丁を走らせる。  結婚当初はよく失敗して夫を泣かせたものだが、今ではベテラン主婦 と呼んでも差し支えないだろう。  夫はまだ小学生の娘に対して真剣に『不公平だ』とこぼしているが… …  そんなにあの頃の料理はまずかったのだろうか?  ………  一瞬手が止まった。  ……やめよう。過去を振り返るのは。  一心に朝食作りにはげんで、やがてそろそろ準備が終わろうかという 時、二階から微かな振動が伝わってくる。 「寝ぼすけさんが目を覚ましたか」  もう一人のおっきな寝ぼすけさんは……と、  廊下の軋む音が近づいている。と、それは途中でとまって、ドアの開 く音が聞こえた。  先にトイレに入ったらしい。 「中で新聞読んで時間忘れないでね」  笑いながら、テーブルに朝食を並べていく。  今日も一日、幸せな時間が始まっていく。 ――――――――――――――――――――――――――――――――  夫も娘も出ていって一人きりの時間。  といってもやる事は山ほどあった。主婦というのは忙しいのだ。  掃除、洗濯、他にもする事は色々ある。  一段落ついた時には、午後になってずいぶんと経っていた。 「もう、こんな時間なの」  溜息一つ着いて、外に出られる格好に着替える。  買い物に行かなくては。  準備を整えて外に出る。  スーパーへの行き道で顔見知りの主婦仲間達とすれ違う。  井戸端会議の真っ最中で、会話に誘われたが買い物を口実にそのまま 別れる。一度参加してしまうと、買い物が何時になるのか分からなくな ってしまうからだ。  それに話題には夫や子供達に対する愚痴が多い。もちろん、冗談半分 なのだろうが静枝には少しついていけそうにない。  もちろん夫と娘について思う所がないと言う訳でもないが、それでも それらを含めて彼等を愛している。だから、それを愚痴にしたくない。  やがて、歩いているうちにスーパーの看板が見えてきた。 「あら?」  ふと、静枝は歩くスピードを緩めた。  道の脇にぽつんと少年が立っていた。  年の頃は娘より少し上くらい……中学生だろうか?  目深に被った帽子のせいで顔がよく見えないので、年齢もいまいちつ かみづらい。  向こうもこちらに気付いたようだ。顔をこっちに向けている。  静枝はそのまま通り過ぎようかとも思ったが、何故か気になって気付 いたら少年の前に立っていた。 「どうしたの? 学校は?」  今日は平日で少年くらいの年頃なら、まだ授業中のはずである。  少年はそれに答えずにただ、静枝を見上げている。 「どうしてこんな所にいるの?」 「おばさんこそ」  一瞬、空気が凍りついた。     『おばさん』  娘の友達には良く言われていたが、見知らぬ少年にまでそう言われる とは…… 「お、おばさんはね。今日の夕飯の材料を買いに行く所なの…」  声が微妙に震えているあたり、何かの衝動を耐えているのがありあり と見える。 「ふ……ん」  少年の方はと言えば、さして気にした風でなく静枝を見ている。  そして口を開く。 「どうしてこんな所にいるの?」 「?」  少年は静枝の言葉をそのまま返して来た。 「だから買い物……」  言おうとして、口を閉ざす。  少年はただ、静枝を見つめているだけ。なのに彼女はだんだん不安に なってきた。  どうして自分はこんな所にいるの?  どうして? 買い物に決まってるでしょ?  どうして自分はこんな所にいるの?  どうして? 買い物に……  どうして自分はこんな所にいるの?  どうして? それは……  視界が一瞬ブレた。  体がよろめく。倒れそうになるのをかろうじて持ちこたえる。 「早く抜け出そうよ。こんな場所から」  はっとして周りを見渡す。  別に何も変わったりはしていない。 「買い物……に行かなきゃ」  呟いて歩き出して数歩、そして慌てて振り向いた。  そこには静枝以外誰もいない。  あの少年がいた痕跡はどこにもなかった。 ――――――――――――――――――――――――――――――――  両手に持ったビニール袋に詰めた荷物をようやく降ろす。  ちょっと買いすぎたようだ。 「まさか特売セールだったなんて……チラシのチェックが甘かったわ」  一息ついて、買ったものを片づけていく。 「冷蔵庫に全部入るかしら」  一抹の不安を感じながらも手は止めない。 「牛肉はここ、レモンは……とりあえず後回し、鮭は…」  ふと手が止まる。  『どうしてこんな所にいるの?』  頭を振って作業に没頭しようとする。  それは理解してはいけない事だから。何故かそう理解していた。  玄関の方から、ただいまの声。  娘が帰ってきた。 「お帰りなさい」  なぜかほっとして、玄関に迎えに行った。 ――――――――――――――――――――――――――――――――     ブレーキ音。     それが全てを狂わせた。     きらきらと自動車の破片が飛び散る様は、どこか現実離れして     いて。     そうそれは夢。     夢の事。     炎の赤も……     血の赤も……     全てが夢の中の事。 ――――――――――――――――――――――――――――――――  意識ははっきりしていた。  自分が目覚めている事も自覚していた。  それでもしばらく静枝は体を起こさなかった。  体が重い。どこか調子が悪いという訳ではなかったが動こうとすると 体が拒否する。  だからといっていつまでも寝室にいる訳にはいかない。  今日も夫は会社へ、娘は学校へ行かなくてはならないのだから。  のろのろと体を起こす。  廊下へ出てリビングまでの距離がやけに長い気がした。  何故こんなに動くのが辛いのか。  静枝は少し考えた。  夢を見ていた気がする。  とても非現実的な夢。 「どんな夢だったかな……」  ぼんやりと呟く。  思い出せない。思い出せない程度のものだったのだろう。 「ま、いいか……」  朝食の準備にかかろうとして、ふと脳裏によぎる。  『どうしてこんな所にいるの?』 「………」  手が止まっていた。  何も考えられなかった。  空白の意識のスミに滲むように何かが見えてくる。  それは……  何かが浮き上がろうとしていたその時、廊下の軋む音が。 「いけないっ」  夫が起きたのだ。  朝食の準備はほとんど手つかずの状態。 「あわわっ、しまった。早くしないとっ」  ドアを開けて入ってきた夫に向かって静枝は慌てていった。 「す、すぐ作るからちょっと待ってっ!」 ――――――――――――――――――――――――――――――――  とぼとぼと静枝は力無く歩いていく。  今日もスーパーへ買い物へ。だが、今日の目的は夕飯の材料ではなか った。 「はぁ」  今日は朝から散々だった。  結局、朝食は昨日の夕食の残りものを温めただけに終わった。  夫は「たまには…な」と苦笑していたが、娘には大層不評だった。  二人を送り出した後も、洗濯機に洗剤を入れ忘れたり、テーブルを拭 いている際に置いてあったガラスのコップに手を当て落としてしまった。  粉々になったコップは結構高かったのに。 「なんなんだろ、今日は」  わざとらしく愚痴っぽく口にする。  本当は分かっている。  それは忘れようとしているから。  忘れようと考えて、考えすぎて他の事に気が回らなくなっているのに。 「そう言えば、昨日ここで……」  半ば無意識に呟きが洩れた。  洩れて慌てて口を塞ぐ。それも忘れようとした事だったのに。  だけど、ここは確かに昨日少年と出会った場所。  そして、今もまた少年はそこに立っていた。  静枝はなるたけ顔を合わせないようにそのまま通り過ぎようとする。  3歩。2歩、1歩。  そして少年の脇を通り過ぎる。  何事もない。  そっと胸を撫で下ろす。 「いつになったら気付くのかな」  背中からの声。  思わずビクッと体が震え、足が止まる。 「いや、気付いてはいるんだよね、始めから。認めたくないだけで」  聞いてはいけない。  静枝の中で何かが警告を発する。  ニゲロッ!  逃げなければ。  だが、足が動かない。 「待っている人もいるのに。それにも気付こうとしないの?」 「何が分かるのよっ!」  叫んだ。  叫んでから静枝は叫んだのは自分だという事に気付いた。  そうあの少年には何も分かるはずもない。  だったら、分かるのは誰?  それは…… 「そう、誰にも分からない。だからと言って、あなた自身が理解を拒否 するのはどうかと思うよ」  ヤメテッ!  静枝の中で悲鳴が聞こえた。  イヤッ!  カエリタクナイッ!  ココニイルノッ!  ふいに手の甲に冷たい感触があった。  そこに目をやると手の甲が微かに濡れていた。  なぜ?  さらに手の甲に水滴が跳ねる。  そして気付いた。泣いているのは自分。 「やめて……」  静枝は懇願する。 「私はここにいるの。あの人もあの子もいるここに」 「いないさ」  少年の言葉が静枝の心を切り裂いた。まるで錆びた刃のように無惨に もギザギザにささくれだった傷口を残して。 「うそっ!」 「いつまで目を背けるの?」 「うそよっ! 黙ってっ! 言わないでっ!!」  ふいに少年の声が止まった。  いつの間にか静枝は両手で顔を押さえて俯いていた。  もしかしていなくなった?  微かな希望と共に顔を上げる。だが、そこに少年はいた。  何の感情も見せないで、ただ静枝をじっと見ている。  そして、言った。 「ここは夢だ。あなたは現実に帰るべきだ」 ―――――――――――――――――――――――――――――――― 「いやぁぁっ!」  静枝は勢いよく体を起こした。  そして、気付いた。 「……え?」  そこは寝室だった。 「な、なに?」  時計を見るとまだ夫と娘が家を出てすぐぐらいの時刻。 「ゆ、夢?」  ふと気付く。  自分が外出着である事を。  気味が悪くなって、部屋を出る。  リビングに出る。  小ぎれいなテーブル。染み一つないキッチン。  とても清潔だったが何か違うような気がする。 「ここで暮らしていたのよね?」  まるで誰かに問いかけるように静枝は呟く。  まるで生活臭がない。  カタログの写真を見ているように人が暮らしている匂いがしない。  胸が悪くなった。  改めてリビングを見る。  家族で見る為に買った大きなTV。ソファに囲まれた背の低いテーブ ルには雑誌とリモコンがキチンと行儀良く並んでいる。  棚には数本のビデオテープと分厚い本が並んでる。  静枝の息は少しずつあがっていった。  あのビデオテープって何を撮ったっけ?  あの本っていつ何のために買ったの?  一歩後ずさった。 「なんで?」  怖かった。  自分が立っている場所が分からなかった。 「いやっ」  階段を駆け上がる。  二階へ。  そして、上がってから気付いた。  廊下にはドアが三つある。 「え?」  静枝は絶望的な思いで迷ってしまった。  どれが娘の部屋? 「そんな……」  頭の中が痺れて真っ白になって、それでも彼女は一つ一つ部屋を空け ていく。  一つ目の部屋には何もなかった。  ただ、四角いだけの部屋に窓があるだけ。 「ここじゃない……」  なぜ何もおいていない部屋があるのか?  そんな事を疑問に思う事すら今の静枝には出来なかった。  二つ目の部屋も一つ目の部屋と同じだった。 「じゃ、こっちね……」  掠れた声でそう言って三つ目の部屋のドアを開ける。  何もなかった。  一つ目も二つ目も、そして三つ目も何もない部屋だった。 「そう……」  静枝はゆっくりと部屋を閉めた。  娘の部屋はどこにもなかった。では娘の部屋は?  今にも崩れそうになりながらも引き返す。  リビングを通り抜け、寝室へ。  開けたドアをそのままにベッドに体を投げ出す。 「それでも、ここにいるのが幸せだったのよ」  静枝は言った。  毎朝起きて、朝食の準備をする。  本当ならその前にする事があったはずだ。  まだ隣で寝ている夫にキスをする。  それが日課だった。  あの日までの。 「でも、今は出来ないの。だって目覚めたらあの人……いないもの」  そして、部屋のすみを視線をやる。 「そうでしょ?」  そこには少年が立っていた。今までがそうであったように目深に帽子 を被って。  ただ、少年がその手に何かを持っている。  それはまるで鞘に収まった日本刀のように見えた。  だが、静枝はそれにもなんの感情もしめさない。  ……もうどうでもいい事だから。 「……これ以上、私から何を奪うの?」 「奪う訳じゃないよ。戻ってもらうだけだよ」 「同じよ。あそこには何も残ってないじゃない」  そう、ただ悲しみだけしか残っていないから。  だから、夢の中に閉じこもった。 ――――――――――――――――――――――――――――――――  その日は家族で遊園地に行く事になっていた。  会社が経営難で休日出勤が当たり前になっていた茂さん。たまの休日 なのに娘が喜ぶ顔が見たいからと笑顔でそう言った。  案の定、静香も喜んでいた。  まず、茂さんが車に乗り込んで、次に私。そして後部座席に静香が座 って出発しようと思ってふと気付いた。  ああ、そう言えばこれから行く遊園地の割引券を新聞屋さんからもら っていたわね。  玄関前に車を出してから、私は車を降りて割引券を取り戻った。冷蔵 庫に磁石でとめてあったそれを手にして、私はもう一度、家を出た。  早く、とそう車の窓からせかす娘に苦笑しながら玄関の鍵を閉めた。  そして、振り返った。  それは一瞬にして起こった。  突然に凄いスピードで別の車が走ってきたかと思うと、夫と娘の乗っ た車と接触した。  それはまるで夢のようだった。  たぶん、相手の車はブレーキをかけたのだろうがそれでも間に合わず、 それぞれぶつかった部分は原型を残していなかった。  しばらく後に車が火を吹いた。  何が起こったか分からなかった。  やがて、人が集まってきて何人かが私に声をかけてきたが私にはどこ か遠い世界のように思えた。  爆発の勢いのせいかふいに車のドアが開いた。あるいは接触した部分 に近かったせいか脆くなっていたのかも知れない。  ……それが見えた。  赤い赤い色。  始めはそれが何か分からなかった。  なぜならそれは元の形を失っていたから。  誰かが悲鳴を上げて、それは次々と周りにうつっていった。 「うそよ……」  否定したかった。  だって幸せだったから。  これからも続く幸せだったから。  だから、それが茂さんだったなんて認める訳にはいかなかった。 「うそよぉぉぉっ!!!」  そう、これは夢だ。  夫も娘も何事もなく、遊園地に行ったはずなんだ。  これは夢なんだ。  ほら、もうすぐ目が覚めるから…… ―――――――――――――――――――――――――――――――― 「でも、それでもここは夢なんだ。あなたが否定した方が現実なんだ」 「……夢の中にいるのがそんなに悪い事なの?」 「別に悪い訳じゃないよ」 「だったら、いいじゃない。私はずっと夢の中にいたいのよ」 「あなたには待っている人がいるよ」  静枝は笑った。涙を流しながら。 「どこにも誰もいない。ここだけが私のいるべき場所なの」 「違うよ」  少年はきっぱりと言い切った。 「ここはあなたのいる場所じゃない」 「じゃぁ、どこにあるのよ、私の居場所はっ!」 「現実に」 「ないって言ったじゃないっ!」 「いや、あるよ。あなたの居場所も、あなたを待っている人、必要とし ている人が」  少年は鞘に入ったまま、刀をかざす。  はっと静枝は身構える。少年が何をしようとしているか分かったから。  なぜ分かったのか。それはここが静枝が作った夢だから。 「やめてっ、壊さないでっ!」  聞き届けずに少年は刀を何もない空間に向かって振り下ろす。  ガラスが割れるような高い音が響いた。  そして、寝室の風景が割れた。それこそまるでガラスのように。 「あ、ああぁぁ」  震える声で静枝は絶望の声を漏らす。  夢が壊れてしまった。たった一つの居場所だった世界が。 「さぁ、戻って」  寝室が空虚な闇だけの空間とすり替わった場所に、少年の声が遠く響 く。 「あなたが本来いるべき世界に」 「あなたはいったい誰なの?」 「誰でもいいよ」 「どうして、こんな事するの?」 「あるべきでないものをあるべきように戻す。それが僕の役目なんでね」 ――――――――――――――――――――――――――――――――  鳥の声が聞こえる……  静枝は目覚めた。 「ここは?」  見知らぬ部屋だった。  畳の上に敷かれた布団から体を起こす。 「ここはどこ?」  部屋を見渡す。妙にお守りの類が壁に掛けられてある。  襖を見れば墨を使って何か書かれている。 『お母さんが良くなりますように』  ふいにその襖が開いた。  見知らぬ少女がそこに立っていた。  どこかの学校の制服を着ている。高校生だろうか?  なぜこんなところに見知らぬ少女が?  ……見知らぬ?  どこかその少女に見覚えがあった。 「おはよう」  どこか少し哀しげに少女は言った。 「今日は早いね。いつもは起こしにくるまで寝てるのに」  少女は静枝の横に膝をついた。 「ほら、朝食出来てるよ、母さん」  静枝の心臓が高鳴る。  そう知らないはずがないのだ。  その少女は…… 「いつになったら母さん、元に戻るのかな。いっぱいお守りとかもらっ てきて、お寺とかに神社にお参りにいっているのに……」  そう言って少女は静枝の手を取った。 「ねぇ、母さん」  再びそう呼んだ。 「静香?」  言った瞬間、少女が凍りついた。 「……え? 今なんて言ったの?」 「静香……なの?」  面影はある。確かに娘の静香に似ている。  でも、あの時たしかに車に乗っていたはずでは……  そして、少女の腕に気付く。  制服のすそにかろうじて隠れている火傷の痕。 「静香……なのね?」 「母さん……私の事……分かるの?」  静枝の頬を一筋の涙が流れる。 「静香よね? 私の娘の」  瞬間、少女は勢いよく立ち上がって部屋の外へ掛けだした。 「おじいちゃん、おばぁちゃんっ!! お母さん、元に戻ったよっ!!」  涙混じりの叫び声。  やがて、複数の慌ただしい音が聞こえてくる。 『だから、言ったんだよ』  声が聞こえた。  もう部屋には誰もいないのに。 「ここが私の居場所なのね?」 『過ぎてしまった時間はどうしようもないけど』 「これから償っていくわ」 『うん、がんばって』  そして、声はもう聞こえない。  再び、少女が部屋に戻ってきた。 「待ってて、今みんな来るからっ」 「ええ、いくらでも」  静枝は心の中でそっと付け足した。   だって、いままでずっと待たしてしまったから。